テニスの話 3

プレイはすべて自分のために行なうものであり、結果はすべて自分に帰するものです。


自分のために戦い、自分のために勝つのです。


そして負けた時は、その原因を自分の中に探'すべきです。


ジミー・コナーズも、ジョン・マッケンローも国のために戦っているわけではありません。


彼らは常に、自分のために戦っているのです。


たとえデビス・カップ戦でさえもそうだと思います。


それがプレイヤー本来の姿だと私は思います。


最後になりましたが、3番めは、「なぜ積極的に戦いの場を求めないのか」ということです。


この傾向は、日本のプレイヤーばかりでなく、ヨーロッパのプレイヤーにも見られます。


もしあなたが今以上に強くなること、チャンピオンになることを望むなら積極的に戦いの場、すなわちより厳しい海外のトーナメントなどで腕をみがくことです。


ぬまる湯に浸っていては、決して成長しません。


強くなるためには、厳しく辛い環境に自分を置き、できるだけ多くの場を経験すること、そして負けを恐れずにチャレンジすることです。


そうすることによって初めて、どうプレイすれば良いのか、どうすれば勝ち抜けるのかを理解できるのです。


ジョン・マッケンローにしても、最初から強かったわけではありません。


幼年期から積極的に試練の場を求め、「勝つための何か」をつかみとったからこそ偉大なプレイヤーにな
れたのです。


サクセス・ストーリーは、自然に生まれてくるものではありません。


自分で努力し、作り上げるものなのです。

テニスの話 2

『将来自分はかならずチャンピオンになるぞ』


・・・プレイヤーはこの気持ちを常に持ち続けなればなりません。


そのためには、ジミー・コナーズ、イワン・レンドル、クリス・エバト、マルチナ・ナブラチロワなどのどんな一流プレイヤーを相手にしても、常に勝つことだけを考えること、これが技術以前のもっとも大切なことなのです。


第2の問題点は、日本のプレイヤーたちに「国のために戦う」意識が強く見られることです。


使命感は時として良い結果を生みます。


しかし、ほとんどの場合は、マイナスにしか作用しません。


なぜならば、使命感に燃えることによって、必要以上に多くのプレッシャーを受けてしまうからです。


また「国のために」という考えは、責任の所在を不明確にもします。


たとえ負けても、「自分は国のためにベストを尽くした。だから悔いはない」


・・・と納得してしまえるからです。


テニスの話

日本のテニス・プレイヤーは非常に豊かな才能を持っていると私は思います。


ところが現状を見ると、世界のトップ・プレイヤーと日本のプレイヤーの間には、かなり大きな隔りがあります。


それではなぜ、日本のプレイヤーは勝てないのでしょうか。


豊かな才能を生かしきれないのでしょうか。


私はその原因は技術よりもむしろ、それ以前の部分にあると考えます。


以下、日本のプレイヤーの"技術以前の問題点"を3つのポイントに絞ってお話ししていきましょう。


勝負の世界は結果がすべてです。


勝つか負けるか、それしかありません。


テニスにしても同じことです。


プレイするからには、まず第1に勝つことを考えなければなりません。


ところが日本のテニス・プレイヤーは勝つことへの執着心が薄いように思えるのです。


これが第1の問題点です。


たとえば、ジミー・コナーズと戦って、6-2、6-3で負けたとしましょう。


この時、非常に良いプレイヤーは、ゲームの内容がどうあれ、非常に失望します。


もちろん、負けたことに対してです。


ところが日本のプレイヤーは、たとえ負けても、「負けたけれど相手は一流プレイヤーだ。


スコアも6-2、6-3。よくやったじゃないか」


・・・と、満足してしまう傾向が見られるのです。


しかし、これでは強くなれません。


負けは負け。


"良い負け方"というのはありえないのです。

夏の水やりのポイント 2

長期間留守にする場合は、最近出回っている手軽な自動灌水器を使うのがいいでしょう。


園芸店などで取り扱っているので、相談してみましょう。


2~3日であれば、底面給水のできるプランターを利用したり、水を張ったバットの中に鉢ごと入れたり、二重鉢にして日陰に置くなどの工夫をします。


あらかじめ長期外出の予定が立っていれば、ポーチュラカなどの水ぎれに強い植物を植えます。


カットできる植物ならば、外出前に思い切って刈り込み、葉面から水分が蒸散する量を減らすのも効果的です。


植物の先端の芽を摘み取る摘心(ピンチ)は、わきから新しい芽を出させ、茎数を増やしボリュームのある株にできます。


特にルリマツリやバーベナなどは、苗の初期段階から2~3回摘心して、大株に育てましょう。石塚孝一氏によると、夏の暑さやハダニなどで痛んだマリーゴールドやペチュニアなども、夜温の少し低くなる8月半ばに、全体の半分程度まできり戻し、薄めの液肥を与えておきます。


そうすれば、秋にはまた葉が見えないほど鮮やかな花でおおわれるでしょう。


夏の水やりのポイント

春や初夏にくらべ、気温とともに地温の上昇が激しくなる夏は、根腐れが起こりやすくなります。


そのため地温のあまり上がらない早朝に水やりをしましょう。


必ず鉢底から水が流れ出るくらい、たっぷり与えることが大切です。


また、花がしおれるほど乾きすぎていなければ、朝夕2回与えずに、朝まで待って与えます。


夕方の水やりは、植物を徒長させやすく、よく締まった草姿に育ちませんし、地温の高いときに水を与えると、多温と蒸れによる根腐れが起こりやすくなるのです。


ただし鉢やプランターからあふれるほど成長した植物は、乾きがはやいため、夕方にも水やりが必要です。


乾きやすいハンギングバスケットや吊り鉢などは、一度水やりした後にもう一度水を与えると、容器の中に水がよくいきわたります。

アメリカンブルーの育て方

アメリカンブルーは、ヒルガオ科の非耐寒性多年草。


花期は5~10月、植えつけ適期は5~6月です。


茎が横に伸びて広がるため、吊り鉢やハンギングバスケットに作り、高い位置に飾ると花のよさが出ます。


根張りや株張りがよく、広がって育つため、株間はやや広めに植えつけます。


伸びる茎先に花をつけるので、苗の段階で2~3度摘心して茎数をふやし、花数の多い締まった株に作ります。


長く伸びた茎も半分くらいに切り戻せば、形よくまとまります。


6~8月に、切った茎を土に挿すと、簡単に発根します。


いつも湿っていると、茎葉がやわらかく締まりの悪い株になり、花つきもまばらです。


土の表面が乾いてから水を与え、乾燥ぎみにします。

ブルーファンフラワーの育て方

ブルーファンフラワーは、クサトベラ科の半耐寒性多年草。


花期は6~11月、植えつけ適期は4~5月です。


暑さにたいへん強く、咲き終わった花がらが目立たないため花がら摘みも不要で、手間のかからない花。


日当たりと風通しがよければ、長期間びっしりと花におおわれます。


また茎が多肉質なので、過湿にすると株元かち腐りやすくなります。


特に冬は水を控え、霜の当たらない暖かな南面に置けば、春からも再び花が楽しめます。


肥料は控えめに、チッソ分を少なくして、リン酸やカリ分の多い液肥を、開花中も月に2回ほど与えます。


ただ多すぎると徒長して花色は悪く、花数も減少してしまうので注意しましょう。


夏には茎が長くなるので、半分から1/3ほどに切り、切った茎は挿し木にします。

ニチニチソウの育て方

ニチニチソウは、キョウチクトウ科の春まき一年草です。


花期は7~10月、植えつけ適期は5~6月です。


濃紅やピンク、白などの花があり、暑さに強く、吊り鉢やハンギングバスケットに植えてもよいでしょう。


大きくなってからの移植を嫌つため、若いポット苗を求めて、根鉢をくずさずにそっと植えて育てます。


早く楽しみたいなら、5号鉢ほどのものを買って植えれば、すぐに花が見られます。


日当たりが悪いと徒長したり花つきも悪くなるため、一日じゅうよく日の当たる場所で育てます。


常に湿った状態にしておくと根腐れしやすいので、水やりは土の表面が乾いて葉がしおれるくらいで。


肥料はチッソ分を控えめに、リン酸とカリ分の多い液肥の1000倍液を開花中も月に2回ほど与えましょう。

民主化の時代!マンデラ大統領誕生

一九九〇年代前半は、世界的な民主化の時代でもありました。

アフリカや南米の軍事政権や独裁者は民衆の蜂起や選挙によって多くが姿を消しました。

南アフリカ共和国では第二次世界大戦後、少数白人の優位を保つために人種隔離政策(アパルトヘイト)を導入し、非白人の公民権を制限するなど白人と非白人の差別・分離を行なってきました。

だが、国連の経済制裁やアフリカ民族会議(ANC)の激しい抗議活動を受けて孤立化しました。

八〇年代に入って政府はアパルトヘイトを見直し、九一年には差別諸法を全廃し、九四年には平等選挙権も認めたため、同年の大統領選挙では数において上回る黒人の票を得て、初めて黒人のマンデラ(ANC議長)が当選し(任一九九四~九九)、議会でもANCが過半数を占めることで、同国における白人少数支配は終わりを告げました。

東欧革命・・・4

九五年十「月、アメリカ主導下で三当事者間における包括和平協定が調印され、新ユーゴへの経済制裁も解除されたが、「和解なき和平」との言葉に象徴されるように、前途はきびしいです。

なお、新ユーゴスラヴィア連邦は二〇〇二年、現在の連邦を二共和国の緩やかな連合国家「セルビア・モンテネグロ」に改編することを決定し、ユーゴスラヴィアの国名が消滅することになりました。

またチェコスロヴァキアでも九三年からチェコとスロヴァキアに分裂しました。

こうしてソ連および東欧社会主義圏は消滅し、第二次世界大戦以来のヨーロッパの政治構造は大きく転換した。

冷戦の終結後も、冷戦時代以上に地域紛争や民族紛争が続く世界で、これを調停するための国連による平和維持活動(PKO)が大きな意味をもつ事態となっており、私たちの国も決して無関係ではありません(カンボディアやソマリアなど)。