手放すということ 8
だれをも差別しない。
愛とかスピリチュアルという、ともすれば浮いた感覚でとらえられそうな言葉の実体は、"だれをも差別しない"ということではないでしょうか。
身近な人は、身近であるがゆえに差別しやすいし、また、されやすいものです。
習慣として繰り返されるその人の愚痴や悩みを、いちいち新船に聞く耳を持てないからです。
かといって、いちいちとらわれずただ聞くという動じない心もできていません。
自然と、どこかへ追いやろうとします。
しかし・・・
だれかの老いていく不安、金銭の悩みなどをせせら笑い、ばかにしたときだけでなく、またいつもの話か、とまともに相手にしないとき「あなたはその人に対し、愛情どころか単なる友情さえ、抱いていないと知るべき」です。
「その人を、こうだと決めてかかって見るかぎり、その人はそのように振る舞い続けるしかない」。
・・・子供は元来、自分・他者と、自他を区別する意識を持っていないため、他人を信用するなと教えられれば、それは「自分を信用するな」と置き換えられます。
信用できなければせめて状況の方をコントロールしなくては安心できないという心のからくり。
コントロールしたがる人は、普通、その支配的言動によって"強い"とみなされがちですが、その心情はいつもビクビクしています。
不安と、他人だけでなく、自己にも向けられた不信感に自らが支配されているのです。
だからコントロールしたがるのです。