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ギターコレクター

ギターコレクターであり、かなりの数のギターを所有している。中でもギブソン社製のギターが多く、名器・1959年製レスポール・スタンダードを長年にわたりメインで使用してきた。尚、40歳の誕生日にギブソン社からカスタムショップ製作のレスポール・スタンダード(キャンディレッド)を贈呈された事があり、2008年8月には近年メインで使用しているレスポール・スペシャル(P-90ピックアップ、ビグスビー、TVホワイト・フィニッシュ)を忠実に再現したカスタムショップ製作の「Gibson Custom Shop The INSPIRED BY Series Okuda Tamio Les Paul OT Special」が100本限定で製造・販売された(2008年8月1日現在。奥田民生公式ホームページにて発表)。

カープファン

郷土愛が強いことで知られており、奥田自身は広島東洋カープの大ーファンです!
タワーレコードのポスターで元カープの達川光男と共演した程なのです。

カープのロゴにある「カープ坊や」のイラストを変えて、「民生坊や」にした事もありましたね。(笑)

tamio_bouya.jpg

2004年に広島市民球場において、同球場史上初のコンサートを行ったことでも大きな話題になりました。好きになったらとことん追求するタイプですね~~。

釣りと車

OTの趣味は釣りと車。

本人曰く「釣りをやる時間がないのでバンドを止めてソロになった」と言うほどの釣り好きです。

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これは「ガキの使い」のバス釣り選手権ですが、OTらしいテロップが出てます^^

バスプロの今江克隆さん、河辺裕和さんとも親交が深いそうです。

車に関しては、4歳のときに車のエンジン音を聞いただけで「ありゃルーチェじゃろ。ありゃぁシルビアじゃろ。」と言い当てたという伝説?があるほど。

Aisya.jpg

これはOTの愛車だという噂の車です。

歌詞の中にも度々車やバイクに関するネタが登場しますね。

それらの曲を集めたベストアルバム『CAR SONGS OF THE YEARS』というアルバムを発表しています。

東欧革命・・・1

ソ連におけるゴルバチョフの改革は、東欧諸国にも大きな影響を与えました。

東欧革命についてです!


諸国では、西側諸国との経済格差が広がるのに従来のソ連の国益を優先する、一方的な中央指令型の社会主義経済体制への不満が雀積していました。

その背後で、ソ連をはじめ共産圏諸国では一部の共産党(労働党と呼ぶ国もある)幹部による「特権」と「腐敗」が進行していた。

かつて「人間の解放」を主眼としていた「社会主義」は、少なくとも二十世紀末のソ連・東欧では「人間の抑圧」に転落していたのであります。

一九八九年、東独でホーネッカー書記長(任一九七一~八九)が退陣すると民衆の運動が高まり、政府は「ベルリンの壁」を解放して東西両ドイツ間の自由な往来を認めました。

東欧革命・・・2

九〇年十月、西独による東独の吸収というかたちでドイツ統一が実現しました。

東独における変化はたちまちほかの東欧諸国に波及し、ハンガリー・チェコスロヴァキア・ブルガリア・ルーマニア・ポーランドで共産党(労働党)政権が崩壊し、民主化と社会主義経済からの娚離脱が一気に進んだ・また、独自の社会主義路線をしいていたユーゴスラヴィア連邦では民族対立が表面化し、九二年四月、新ユーゴスラヴィア(セルビアとモンテネグロ両共和国の連邦)・クロアティア・スロヴェニア・ボスニァーーヘルツェゴヴィナ・マケドニアの五力国に分裂して旧ユーゴスラヴィア連邦は消滅しました。

旧ユーゴは「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言葉、三つの宗教(カトリック・ギリシア正教・イスラム教)、二つの文字……」といわれたモザイク国家であったが、分裂によって民族的・宗教的対立が噴出しました。

東欧革命・・・3

九一年にはクロアティアでクロアティア人とセルビア人の間での内戦がおこりました。

さらに、九二年からはボスニア目ヘルツェゴヴィナ(首都サライェヴォ)でセルビア入(人口の三二%)・クロアティア人(人口の一五%)・モスレム人(旧ユーゴで「民族」として認知されたイスラム教徒でボスニア人ともいいます

人口の四〇%強で最大多数派)の三民族集団問で権力抗争がおこりました。

同国内では少数派であるセルビア人とクロアティア人にはそれぞれの「本国」(新ユーゴとクロアティア)が控えてボスニアの「同胞」を支援するかたちで、これら三民族間に激しい軍事衝突が生じています(ボスニア内戦)。

「本国」の支援で軍事的優位にたつセルビア人が全土の三分の二以上を、クロアティア人が三分の一近くを支配し、モスレム人支配地域は一割に満たない状況で、ボスニアからは周辺に多数の難民が流出しました。

九二年、国連は平和維持軍(PKF)をクロアティア・ボスニアに派遣し、ボスニアとクロアティアのセルビア人勢力を支援する新ユーゴに対する経済制裁を宣言しました。

クロアティアでは九二年に一応、停戦が実現したが、旧ユーゴにおけるボスニア内戦は紛争が泥沼化しました。

東欧革命・・・4

九五年十「月、アメリカ主導下で三当事者間における包括和平協定が調印され、新ユーゴへの経済制裁も解除されたが、「和解なき和平」との言葉に象徴されるように、前途はきびしいです。

なお、新ユーゴスラヴィア連邦は二〇〇二年、現在の連邦を二共和国の緩やかな連合国家「セルビア・モンテネグロ」に改編することを決定し、ユーゴスラヴィアの国名が消滅することになりました。

またチェコスロヴァキアでも九三年からチェコとスロヴァキアに分裂しました。

こうしてソ連および東欧社会主義圏は消滅し、第二次世界大戦以来のヨーロッパの政治構造は大きく転換した。

冷戦の終結後も、冷戦時代以上に地域紛争や民族紛争が続く世界で、これを調停するための国連による平和維持活動(PKO)が大きな意味をもつ事態となっており、私たちの国も決して無関係ではありません(カンボディアやソマリアなど)。

民主化の時代!マンデラ大統領誕生

一九九〇年代前半は、世界的な民主化の時代でもありました。

アフリカや南米の軍事政権や独裁者は民衆の蜂起や選挙によって多くが姿を消しました。

南アフリカ共和国では第二次世界大戦後、少数白人の優位を保つために人種隔離政策(アパルトヘイト)を導入し、非白人の公民権を制限するなど白人と非白人の差別・分離を行なってきました。

だが、国連の経済制裁やアフリカ民族会議(ANC)の激しい抗議活動を受けて孤立化しました。

八〇年代に入って政府はアパルトヘイトを見直し、九一年には差別諸法を全廃し、九四年には平等選挙権も認めたため、同年の大統領選挙では数において上回る黒人の票を得て、初めて黒人のマンデラ(ANC議長)が当選し(任一九九四~九九)、議会でもANCが過半数を占めることで、同国における白人少数支配は終わりを告げました。

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